自分語りしたいよね。ここはそんな森。

職場のストレスで休職中してました。

机のうえ

深夜です。今日は早起きの予定だったんですが、かなり早く起きちゃったみたいです。もう寝るのは諦めた。今ほしのげんの夜を聴いてます

こんな時間に一人で文章を書いてると、なんだか小説家になったみたいです。冷蔵庫の音は聞こえてこないけど。

 

なにも思いつかないや。

読んでない本がまだいつくかあるし、それでも読もうか そろそろ、はりーぽったーなんとかびーすともあるし

 

聞こえてくる音は、パソコンの動く音と走るバイクと車の音

なにも考えられない ぼくも外もなにも動いていない

机の端においてあるミニフィグがこっちを向いて右手を挙げている

 

 

あるかないか

「眠りにつくかつかないか」って歌詞のあるあの歌が好きだ。

ものを渡すときに触れるか触れないかの感触 そして触れたときの感触

目が合うか合わないかの刹那の感覚

この感覚がすこく好きだ。

 

あと、夜コンビニに行くと聞ける「いらっしゃいませ。こんばんわ。」のこんばんわ。絶対、「わ」になってるこんばんわが好きだ。あれいう必要あるのかな。いらっしゃいませだけでいいような気もするんだけど。でもこんばんわって最近滅多に聞けないし言わないし、それはそれで新鮮でいいのかもしれない。

 

というか、あそこの店員さんが好きなだけなのかも。記憶に残るってそんなものだよね。

 

パッと目にしたもの、聞いたもの、触れたもの、香ったもの、その何かが自分の中の何かをたたく感じがする。そしてその感覚が記憶に残る。

 

 

こえ

今日も書こう

ただ起きてご飯を食べて(最近は納豆)シャワってドラゴンボールとワンピまっちゃんを観てせんたっきの間パズドラして勝てなくてガチャで銀卵がでて買い物してばいと

 

本当は合間あいまで卒論のこととかやらなきゃダメなんだけどね(あとで後悔することがわかってるから)。本当にやらないといけないことをさぼってひねりだしたこのつかの間の休日を思うと、いいなって思う。おまけに今日みたいな冷たい日には、寂しさとか不安を語るのが合う。いつまでも続けばいいな。

あいかわらず頭に浮かぶのはうんざりすることばかりで、どうしようもないなって思うんだけど、結局そんな自分がなによりも好きで大切なんだよね。なにかあると自分の声に耳を傾けてる。眠いとかめんどくさいとかむかつくとかまあいいやとかそんな類の声がよく聞こえてくる。バウムテストかなんかの分析で、感情が邪魔してるみたいなことが書いてあったのを覚えてる。ああこれ、自分の声だわ。

 

なによりも自分に興味があって自分が一番好きで、そんな自分の声に耳を傾けて、そんな自分をなによりも否定したくなる。もうぼくには他者の声に耳を傾けることができないのかもしれない。傷つかないための予防線ってさくらいさんは歌ってたけど、それだわ。予防線。距離間。近視だからかな、人との距離感もよく分からなくなってきた(うまくない)。ただ、今日あの人に会えてよかったし、明日も会えると思うとなんか嬉しい。自分のささいな気持ちの揺れには簡単に気づくことができるんです。

 

やるせない

野球テレビで見てました。

 

今日は真面目なことを書こうと思います。あくまで僕的に真面目なんですけど。

 

最近のニュースで東日本大震災津波で被災した――の判決あったと思うんですけど、それについてなんです。

まず、僕はどっちの言い分が正しいのかなんて決める資格もないし、たぶん語る権利さえもないんだと思う。でも自分がそうなったらってとこからは考えてもいいんだと思った。

何を書こうかもうわかんないんだけど、とにかくあのニュースを見るのがかなりきつかったことだけは確かなことだった。

地震津波も分からないんだけど、一応あの災害はだれも予想できなかったことってことになってると思う。誰も予想できなかった。何メートルがくるって聞いたとしても、それがどんなものか予想もできなかった。でもなりふり構って逃げ出すわけにもいかなかったんだろう。誰も予想できなかったんだよね。だったら訴えることがどんな意味を持つことになるんだろう。責任の所在って嫌な言葉だよ

なんていうか、僕の中で訴えるってことが怒り恨み憎しみとかの感情がかなりこもってると思ってて、だからこそきついのかも知れないんだけど、誰かが誰かにこういった感情をぶつけることが、ただただ嫌なんだよね

訴えたってもう元には戻らないし、もう思い出したくない人だっていることだと思うし、みんなそんなことは分かりきってることなんだろうと思う。分かってるのになんでこんなことになってんのかな。分かりきっててもなおやらなければならないことだったんだろうか。その気持ちを考えるとかなりきつい。本当に何も言えなくなる。だから嫌なんだよね。ぼくはそんなこと知らなくていい

かなしいね。何も戻ってこないし、やるせなさしかないよ。でも放り出すわけにはいかないことがあって、それは僕には想像できないことで、だからこそなんにもいえない。

 

 

僕はあの人何考えてるんだろうって、考えるのが好きなんだろう。だからかな、今日ホームラン打たれたとき、カープファンはどんな気持ちだったのかなって思いながらテレビを見てた。

そんなこと分かるわけないか。他人の脳をハッキングしなきゃね。いつか、そんな未来も来るのかな。

ともだち

最近、人と距離を置きたいなって感じるようになってきた。

今日はその人の愚痴を書こうと思ったわけじゃない。今は内向きな興味がある時期で、こう思った理由をそれなりの文章にしたくなっただけ。

昨日あの人のエッセイを買って読んで、あんなふうに思いを言葉にしたいなって憧れなのかな

 

最初は誘われるままだったんだけど、いつからかそれが面倒くさく感じるようになった。その人の嫌な部分に、飽きたりうんざりしたんだろう。

うまく説明できない。はたから見たらアベック(おじさんか)と思われてもおかしくなくて、そういう関係があるからこそ行ける場所があって、それは得なんだろうけど、今まではそれで会ってきたようなもんか、けど今はなぜかそんな得も必要がなくなったってことかな。僕の中の何かが距離を置きたがっている。だったら僕はそうするしかないさ。とりあえずここでは自分の味方をする。なんていうか可能性がないものに見切りをつけることって、とっても合理的だよね。というか、得って言葉使ったけど、結構ドライな言葉だなって思った。損得。つまりはコスパ?人間関係コスパ主義?なにそれ?割に合わないって?

 

それに比べて、友情って楽だなって思う。今書いた部分を簡単に超えて、会えるわけだから。というかそういうものがないと友情とかって生まれるわけないか。つまりは楽なんだ。そして自由。気を使わなくていいし、そこには損得を越えたものがあると思うな。会ってほしいな。友達か。わかんないなーー。酔っぱらいの介抱は、、友情?保護監督責任なのか?なんだ。

何かが合ってるんだろうな。そんな理由しらなくていいのかな。たぶんもうすぐしたら、会うことも少なくなって、いつか会わなくなるのかな。あらゆるものは通り過ぎる。そう思うと儚いな。

君じゃなきゃいけない理由はなくて、その時々で必要な人は変わって、とっかえひっかえの人間関係になっていくんだろう。あらゆるものは通り過ぎる。そんな流れの中で立ち尽くせるものを僕は手に出来るんだろうか。あらら。こんなことなら最初から愚痴を書いておけばよかった。また不安になってしまった。相変わらずのネガティブさがまた。

 

自分に対しても他人に対しても、もっと自由で冷たくてドライでいいさ。そうだとしても僕の両手からその全部がこぼれ落ちてしまうわけじゃないと信じたいし、それでも残ったものを大切にしていくべきだと、心のどこかで思う。

 

いえない

昨日お酒をがぶがぶ飲んだおかげで、今日は二日酔いで辛かった。

 

起きたらちゃんとベッドにいて、記憶が抜けていることに気付く。思い出せない。ああ、誰かが送ってくれたのね。

 

思い出せない空白で僕は何をしてたんだろう。怖くなってくる。お酒は怖い。こんなことはもうしないでおこうって前に決めたのになあ。またやっちゃったよ。進歩しないな。嫌われていないかな。

 

自分は仲が良いって思ってても、相手は案外そう思っていないって話あるじゃん?

かなり怖いんだけど、あれ。

僕もそんなに友達だと思われてないのかもな。そう思うとほんとにそんな気がしてくる。悪い癖だよね。

もちろん僕だってみんなに同じ話をしているわけじゃない。でも他人がそうしてるんだって思うとたまらなく哀しくなる。

 

周りの目を意識しすぎて、いよいよ友達まで疑うようになっちゃった。これは泣けてくる。哀しいなあ。すごく心に刺さる。僕はもう信用してないんだ。

心に硬い殻のようなものができていて、そのおかげで僕の中に入ってくるものごとが少なくなってる気がする。

不安はあるよ、でもそれを殻の外にだすことができない。いえない。

こんな僕を理解してもらいたい。それもだすことができない。何もできない。

言っても全部は伝わらないだろう。不完全な思いを不完全な言葉にのせて、いったい何が伝わるんだろうね。そしてその不完全さは面倒くさい。

 

そうやって僕は一人になっていくのかな。元気ではいるよ。でも哀しい。

 

 

追記

ココロが安定しない 安心できない 必要とされない そんな自覚

透き通った虚しさ 楽しさなんていらない、ただそばにいてほしいだけ ずっと。

そんな完全さがほしいのかも 

内面の充足 欠けたココロ 

 

 

振り返り

最近バイトにも復帰して、なんだかんだ暇じゃなくなったし、いろんな人と話さざるを得なくなってきた。バイト先の関係壊したくないしね。(~しね。みたいな文字にドキッとするんだよね。タヒ。みたいに感じる)

そんなこんなであの時よりは元気になったと思う。カウンセリングももう終わりにしたし、いろんなことを思い返すけど、今元気になって良かった。

 

 

一体これから僕はどこに行ってしまうんだろう。元気になったって変わらないものはある。新しい人との出会い、新しい人との関係、こんな自分をどこまで見せるのか、お構いなくプライベートな部分に突っ込んでくる人、詮索、人間関係。

否応なく流されていく感じがする。あのときからどこまで流されてきたんだろう。これからどこに向いて流れていくんだろう。

そんなの考えたってきりがないし、もっと楽観的になるしかないよ。人生はなるようにしかならない。オブラディ・オブラダ。いやいや、今は自分と向きあう時期なんだよ。今その気持ちを、ないがしろにしちゃいけない。見つけるんだ。

 

一体何が正しいんだろうね。この世界で、これからの世界で、正しいことって何なんだ。

色んな人と関わること、自分の心を解放していくことを恐れないべきなのか。

女性がモノ扱いされたりそういうことから守るべきなのか。同性愛や性同一障害の方たちの味方をするべきなのか。これからも沖縄に押し付けるべきなのか。僕は何かを追い求めるべきなのか。

 

自分自身がどうしたいか。そんなこと分かるわけない。やりたいこと?ただ、諦めと妥協と停止の予定調和があるだけ。それが正しいことなんだろうか。分からない。

分からないと悩んでいるこの瞬間にも、時は進んでいる。そして進んだなりに僕がつけ加えられていく。振り返りとその確認でしかないのかな。

 

うんざりしてきた。気が滅入る。もうシャワーを浴びて寝ないと。

結局のところ、全部自分のせいなんだから。そう思うと、孤独なんだなって

自分が腐っていく感じ