自分語りしたいよね。ここはそんな森。

職場のストレスで休職中してました。

そして世界がひとつに

今日の「太りやすいものに課税」のニュースを聞いて思った

 

課税を逃れるように、みんな太らないカラダになっていくんだろう

そしてみんな同じような健康なカラダになっていくのかな
色んな事が解き明かされて、カラダに悪いものがとことん解明されて
少しでも害のあるものは避けて、カラダにいいものだけをとことん行う

徹底的に管理されつくした食事をして、最も効果的な運動をするようになるんだろう

そうしたらみんな同じサイズの服を着ることができるね、なんてね

 

次は何が起こるんだろう


最近なんとなく、みんな同じになればいいなって思う

 

 

もういいよ

もう僕たちは無理しなくていい

夢や希望、目標、今ここではないどこかへ とか

こんなもののために無理するくらいなら、もうやめちゃえばいいんだ

逃げ続けたってかまわない

 

自分のやりたいこと なんて見つけなくていい

そんなもの見つかりっこないから

自分のやりたいことをずっと持ち続けることと自分の気持ちを信じ続けること

 

それを向上心と呼ぶのかもしれない

建前的な考えとそれに隠れた本音

搾取されるしかないやつ これを回避できるやつ

損得を中心に考えること

格差 排除

 

社会を語った気になる

何かと自分を比べる

自虐的なもので自分を支える方法

楽観視と諦め

 

誰かがいった

僕たちはみんな病んでる ただそれに気づく人と気づかない人がいるだけだ

 

何かと比べて それを簡単に語ったりバカにしたり見下したりそれで自分の尊厳を守ったりしなくない

競争も達成もいらない

側にいる人だけに手を差し出せばいい

いつも誰かや何かに守られていればいい

それでいいんだ

 

変えようなんて思わない

ただここに祈りがあるだけ

でも自分の中の暴力性や極端な思想がこわい

 

 

なるようになる

そろそろ課題に追い込まれてきそうなので、今日書いておこうと思った。

 

なんだろう

将来に対して漠然とした不安みたいなものがあって、でもそれに立ち向かってやろうみたいな思いもなく、その準備も十分にしない。まあ、ぶっつけ本番って感じなのかな。

それでどうなってもそんなに後悔もしないと思う。いつかシンジ君が心を塞いでいたような感じなのかな。自覚しても、まだ変えられないと思う。

 

なんだろう

いろんなことが面倒くさく感じる気がする。たいした展望も目標もなくて、たぶん今の歳ならいろんなことに情熱を注ぐ時期だしみんな将来のために頑張っているんだろうけど、、、

そんなこと気にしなくていいか。いろんなことを相対化して自分がダメなんだろうなって思うことが多い。けどそんなこともしなくていいのかな。

 

努力とか夢とか勝利とか自信とか。分からなくなってくるし、これから分かることなんてあるのかなあと思う。

たぶん寂しいんだろうな。孤独で。だからいろんなポジティブな感情が湧いてこないのかなあ。

 

つい先週から放送しているNHKのBSでエヴァのアニメを観てて。僕は高校生の頃からエヴァが好きなんですけど、こう、シンジ君の抱えている悩みを自分と重ねることが多くて。でも今の僕には救いはないと思ってて。

 

楽しくいかなきゃ。日々を楽しまなきゃ。夢や目標に向かって成長していかなきゃ。

覇気がないんだとか。

こんなことがプレッシャーになるんだったら、もうそんなことは気にしなくたっていいんじゃないの?とは思う。じゃあそうすればいいやん。でもそうなれなかったりする。しないし。

こう、電圧っていうのかな。体力がない。走ってはいるけどね。精神的な体力がない。とはいいつつ、健全な精神は健全な肉体に宿る?なんて。

 

まだ右往左往を続けたり、自己否定とかそんな葛藤を抱えていくんだろう。

何回同じことを言うんだろうね。言い聞かせてるつもりでも、全く届いていない気がする。

 

秋のはじめに

そろそろ中秋の名月だということで。空気も秋を感じるようになってきましたね。

秋はいいですね。僕も好きです。なんたって涼しくて過ごしやすい。食欲、読書、スポーツの秋。そして何だか少しさみしい季節ですね。

 

読書はもちろんなんですが、最近ジョギングを始めまして、そんなこの頃です。

 

今日も何を書こうかなって考えながら走ってたら、見事にその内容を忘れちゃいました。ここに書いて自分を整理してたんですけど、走ることでも整理されちゃうのかな。それにしても何を考えて走ってたかなあ。思い出せないってことはそんなことだったのかな。

 

 

今の僕の年齢は自分のことを振り返って、あぁ僕はこんな人なんだなとか、少しづつ自分の幹みたなものをつくる時期だと思っていて、もしかしたら他のみんなは終わらせてたりすることなのかも知れない。僕はそんなに自己評価が高くなくて、いまだに子どもいたいな考え方や行動をするし、いわゆるアダルトチルドレンなのかなという思いがある。こんな自分を肯定してあげていいのか、それともこんな自分を否定して変えていくのか。どうしたものかと考える日々です。

 

僕どうすればいいんだろう

 

●僕は過去の積み上げであって、そう考えるとすでに僕をつくるものは過去にあって、それを掘り起こすことが出来たら僕ができあがるんちゃうかな?三つ子の魂百まで。三つ子の僕、そこにすべてがあるんちゃう?

○いやいや。僕はこれからの未来にいるんだ。今から君がなにをどうするかで全く別の君になる。確かに過去の積み上げが君だけど、これからはその積み上げ方次第でいくらでも違う自分になれるさ。そこには可能性があるんだ。

●いままで積み上げてきたものの上に積んでいくわけやろ?そんなん急に積み上げ方変えたりしたら崩れてまうやんか。今までのもん、おじゃんになるやん。

 

とまあこんなことを走りながら考えていたんだろう。

 

ちなみに僕は●側の意見でした。完全に●側ではないけど、自分の過去に触れること、自分の中に潜ることで初めて気づくこともあるんだろうし、そこから得るものをこれから生かしていけばいいんだと思う。もちろん自分のいいとこ、弱いとこにも向きあわないといけないかもしれないけど、そういうことを受け入れていかないといけないのかなと思うな。

たぶん、昨日書いたことは僕の弱さの一つなんだと思う。もう終わってしまったものから離れられない部分を持っていることが。でもそれでいいんだとも思う。弱さを克服するんじゃなくてそれはそれで抱えていけばいいと思う。そうすれば少しは楽になれるのかなと思う。

 

 

少し前はいろんなことで悩んだり落ち込んだり不安になったりすることがあって、結構辛かったんだけど、今はそんなことが少なくなって気がする。少しは強くなれたんだろうか。なれたよね。そう思うと少しうれしい。これからもいろんなことが上手くいくといいな。

 

 

親子丼とかあれこれ

親子丼ぶりについて

 

今マイブームで親子丼をつくることが多いんですけど、それで今日は少し変えてみて、白だしに変えてみたんです。同じ作り方で今まで何度もつくってきたから、その味とは違うことくらいわかるんですけど、それが自分の好みには合わなかったんですね。今までつくっていたものに白だしを加えただけなんだけどな。料理って不思議だなあ。

一人暮らしも何年かしてるのに、満足につくれるのが親子丼だけだなんて、いったい今まで僕は何を食べてきたんだろう。でも満足につくれるのが一つでもあるのは救いだよね。

 

その親子丼をこの前初めて友達に振る舞ったんです。別に特別美味しいわけではないんだろうけど、自分のつくったものを食べてくれるってのはなかなかいい経験だったな。

 

昔付き合ってた女の子にハンバーグをつくってもらったことがあって、なんだかその時のことを思い出した。あのときは緊張とか何をしていいかわからなくて、ドギマギしてたな。今もだと思うけど、本当に子どもだったな。

たぶんもう会うこともないんだろうけど、きちんとしたお別れ方がをしなかったので、色んな事が宙ぶらりんになってることが気にかかります。今だからこその反省とか後悔なんだろうけど、今もし会って話せるとしたらそんなことを話せたらいいな。あのときは色んな事を受け入れることが出来なかったんだ。だから逃げちゃったんだよ。あれから同じようなことを何度かしたよ。君はそれからどうだった。心に穴をあけちゃったかな?それとも全然平気だった?どちらにせよ、僕のことは最低な野郎だったって言ってくれてていいよ。二度とあってくれなくていいし、綺麗になって見返してくれていいよ。

僕からしたらかなり傷つくようなことをしたと思ってて、だからこそ気になるってのもあるんだけど、でも所詮、それも僕のエゴだよね。だからもし会っても何もしないと思うな。だから気にかけてるだけ。そのことは僕の心の外から一歩もでていないはず。じゃあどこかで元気でね。

 

どんどん昔のことを思い出す。

 

昔読んだ吉本ばななさんの『キッチン』という小説を思い出した。

キッチンがただご飯をつくる場所だけじゃなくて、そこにいろんな思いや考え方を読み取ったり、おなかいっぱいになる幸福感だったり、ただみんなで食卓を囲むことだったり、、そんな内容だっけな。

 

カウンセリングを受けてる話は以前どこかでしたと思うんですけど、そこで一度ちゃんとした心理テストをさせてもらったことがあって、それの結果内容に書かれてあったことに衝撃を受けたことがあったんです。ちゃんと思い出せないんだけど「成功しなかった恋愛を発展させたいと望んでいることがうかがわれる」みたいなことがあって。この結果が、僕の気付いていない心のことを指したのか、それともこの結果をみて僕がつくりだしてしまった心なのかはわからないんだけど、とにかく心が動揺した。

僕はいまだに引きずっているというか、心に残ってるんだなって実感してます。女性は上書き、男性はフォルダ分け。だぶんそのことなんだと思う。いずれにせよ、とうの昔に終わった関係だし、これからも関係ないんだし、この話はこれきりにしようかな。

 

つい最近はてなブログで「自分の世界を守るためにブログを書いてる」みたいなことを書いている人がいて、ああ僕はこのタイプかもな、と思ったことがあった。

僕も言葉に出来ないような感情や思いや考えをなんとかここに書くようになって、少しは自分との向き合い方が分かったような気がする。

正確にはかけてないんだろうけど、そうだとしても、言葉にして心のモヤモヤがはれたり、そんな実感が確かにあります。

 

洗い物も終わってあとはもう寝るだけになってます。そして今は『君の名は。』のサウンドトラックの『三葉のテーマ』を聴いてます。そろそろ映画観ようかな。

 

夏のおわりの気持ち

また長い間滞ってしまいました。メモにはしていたんだけど、ここに書くようなことが最近なかったです。

 

簡単に書くと、

最終面接したり(落ちた)旅行したり晩御飯を食べたり寝たりうだうだしたり

でした

 

毎日暇つぶしみたいなもんですね。やるべきことはいっぱいあるのになぁ

 

今の不安は就職のこととゼミの課題のことが主なんですけど、それをいつまでもやらないまま毎日を過ごしてしまうんです。問題を先送りにしてばかり、だから不安は一向に解消されることがない。前に進んでいるようで何も進んでいないことだらけ。一体どうしたらいいんだろうか。本当に分からない。

 

こうした不安を抱え続けつことが、今の僕のひとつのアイデンティティなんだろうかとも思う。でも解決しない物事を抱え続けるのは正直しんどくなる。もっと軽く気楽にいきたい。

 

正直、もうだるい。すべてがだるい。

出来ない自分じゃなくて、自分じゃないことのせいにばかりしてしまう。そんな自分もだるい。全部自分のせい。だけど自分のせいじゃない。そんな自分がだるい。本当にだるい。まわりくどい。何も進んでない。何も変わってない。だるい。何もしたくない。ほうっておいてほしい。でも

 

こんな自暴自棄的な考えが離れなくなってきた。

 

本当にだるいと思う。自分自身に。この社会に。それらを取り巻く関係に。

 

僕は本当に大丈夫なんだろうか。いろんなことが上手くいかない気がするんだ。

先が見えなくて、不安で、でも切り開くこともできない。ただ怯えるだけ。その先にあるのは怒りや恨みみたいな感情だけだ。そんな考えが頭から離れない。

 

この世界には立ち向かわないといけないことが多すぎると思うんだ。もっと開かれていて自由で解放されていて幸せな社会ならいいのに。

 

もうね、どう生きたいのかどう生きるべきなのかが全然分からない。このままでいいような気もするしどうなったっていい気がする。なにも決断できない。なにも進まない。もう全部投げ捨ててやりたい。放り出したい。そうしてもいいような気がする。

 

 

やっぱり

世界や自分を否定し続けることで僕は僕でいられるのかなぁ

だったらもういっそ、こう言ってくれたらいいのに

世界一大嫌いだ

 

 

火を眺める

いつもネガティブなことを書いているので、今日は明るいことを書こうと思います。

 

火を眺めるのが好きなんです。

 

 

タバコについて

この春くらいからかな、タバコを少しだけ吸い始めたんですけど、そのときに思った「タバコの燃え方、ええやん」がきっかけだったと思います。

未だに火をつけるのが苦手なんですけど、タバコに火がついて先からジジっと燃えているのを眺めるのが好きだし、フィルターのあたりまで火が来てマグマみたいに静かに燃えているのを眺めるのも好き、吸うときにジジっと音が出そうな感じで燃えるのを眺めるのが好き。

 

 

キャンドルについて

この誕生日のときにもらったキャンドル。何かの作業をするときに、机の横でつけてるだけなんですけど、何かのしるしにただつけているのが好きなんです。たまに手をかざして火のぬくもりを感じています。

 

 

たぶん、火を眺めるのが好きって、それをしながらぼーっとできるから好きなんだろうなと思います。普段から、ぼーっとして何かを考えるのが好きなんです。

 

 

もう暦の上では、秋になったんですね。夕暮れがきれいです。

今日は明るい気持ちでいれて良かった。これが続くようにしたいなあ、とそんな今日この頃ですた。