むなしさと共に
僕へ
最近、日々むなしさを感じています。いつ頃からなのか、どうしてかは分かりません。ただ、何かの拍子にふと振り返ると僕は、むなしさを感じていました。
言い換えるなら、僕たちは本当の意味で理解し合うことはできないんじゃないか?僕たちはどこまでいっても孤独なのではないか?ということなのかな
もちろん、僕たちは共感できる。家族と話す思い出だったり、一緒にみた花火であったり。お互いに記憶している記憶を共感することはできる。
でも、果たして、その共感は本当の意味での共感と呼んでいいんだろうか。僕らは別々の脳を持っていて、同じ感動を持つということは可能なんだろうか。
そんなこと出来るわけない。だからこそ僕たちに個性があり、多様さがあり、そして化学反応が起こってきたんだ。たぶんそうやって僕たちは進化してきたんだろう。
分かち合いたい。これが最近の僕のテーマだと思う。共感したい、僕の考えていることを理解してもらいたい、そして何より、君の考えること、今の気持ちを知りたいと思う。でも、こう望んでいる裏では、本当の意味で分かち合うことなんて出来ないと思っている。
もちろん友達と会って、一緒に笑ったりすることはあるけど、結局それはある一定のところまでの範囲での共感であって、悪くいえばうわべでの共感かも知れない。そんなことを思うと、自分の冷たさに哀しくなる。むなしさ、やりきれなさがある。
だいたい、自分が今考えていることを伝えることさえ、本当の意味ではできていないじゃないか。ちゃんと伝えることができないことを、ちゃんと理解してほしいだなんて、ワガママにもほどがあると思う。この世界はあんたを中心に回っているわけじゃない。
僕だって、これが自分勝手なワガママであることは分かっているつもりなんです。ただ、明日から直しますというようには、ならないんです。
ここでも折り合いが付けれない。自分が伝えたいことをちゃんと伝えられないこと、思ったように理解してもらえないこと、そのことで起こるすれ違いや葛藤。
どう接していいのか、どう言えばいいのか、何を話すべきなのか、話さないでおくべきなのか。分からない。
この分からなさを解決する術として、分かりあえたらなあと思う。そうすればもっと僕たちはお互いを理解し合えるのにな。(なんだかエヴァンゲリオンみたいな話になっちゃいました。)